2013/12/09

大学の公開講座

公開講座をやっている大学って増えた気がします。
地域の人たちとのコネクションを大切にしなきゃという流れも手伝っての事でしょうけれど、興味のある人にとっては見逃せないものだと思います。

しかし・・・

最近私、外れを引く事が多くて目を覆いたくなります(>_<)

明らかに違う歴史を堂々と教える教授。
明らかに違う解釈を自分の解釈としてではなく引用を間違って使ったまま教える教授。
明らかに知らないのにちょこっと調べて講義している教授・・・。

なんなんでしょうね!

学校の先生の権威も落ちたモノだ、とか言う論調もみた事があって、そうなのかーと思ってたけど、大学に関しては、コレは馬鹿にされて当然なのでは、と思いました。

私も年を経て少し丸くなったので、昔ならひとつひとつ丁寧に揚げ足とってたと思うのだけど、「このまま恥をかきやがれ!」と放置プレイをするようになったのですが、これがまた、ストレスが溜まる事溜まる事。

別に新しい見方をしたっていいし、新説を唱えてもいいと思うのだけど、歴史や所在地を間違えたりされたらそれはもう知識の暴力だと思うんだよね・・・。
たぶんどこかの本から引用してきたであろう図なども引用元を明かしてなくて「この図を作りました!」とか言ってたのだけど、説明と図が相違しているの。
なんなの、この人。と思いました。
説明の文の流れが不自然だったから、wikiで調べたら、wikiの知識だけであの資料作れた、とか分って、講義代を多少なりとも支払った私はとーーーーーーーーっても残念な気持ちになりました。

教育系もかじっていた観点からすると、教える人と教えられる人って立場が分離したのは歴史上結構浅いので、別に教わりたかったら講座に通わなくてもいいんだよね。
でもさ、講座開く位だから、新しい知見でも蓄積されたのかと思うじゃん。
そうじゃなかったという・・・。
あそこの大学院行かなくてよかったなぁ。

ついでに、日本の首都県立の大学だからね、あそこ。
なんだか、先が思いやられる。
結局、知りたいことは自分で仮説を立てて論文なりを読んで行くしかないのかもしれない。
けど、仮説を立てるにもある程度の知識は必要な訳で、それには講義は有用かもしれないけど・・・その講義が壊れているって何ゲーム?罰ゲーム?

私の論文目標が散らばっているのはココの影響もある事は明らか(2010年に違う講座を取っていました)なので、憎しみさえ抱いてしまいそうです_(._.)_
まぁ、分ったのも収穫なのかもしれないですけどね。

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